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自分らしく生きること≠最高価値に生きること

2017-07-04 [記事URL]

私が間違っていなければ、誰も他人の真似事をして生きたいとは思わない。

他人にいちいち指示を受けて、言いなりの人生を歩みたいとは思わないだろう。

 

自分の思い通りに生きたい!・・・誰もがそう思っているに違いない。

成功するのであっても、自分らしく成功したい・・・そうだろう?

自分を偽ってまでお金が欲しいとは思わないはずだ。

自分に正直に、自分らしく生きる。それが誰しもが望んでいる生き方ではないか。

さて、では「自分らしく生きる」ことの「自分らしさ」とは何だろう?

この問いは簡単そうで、実はなかなか奥深い。なぜなら、多くの人が誤解しているテーマだと思うから。

これを読んでいるあなたは、そんなことはないと思いますが、結構な人が「自分らしさ」を「自分のスタイル」と解釈しているようだ。

一番身近なことでいうと「髪型とか着る服の好み」。

いわゆるファッション。同じようなファッションでいることを「自分らしさ=アイデンティティ」としている人が案外多い。
スタイルとは、好みであり趣向のことであってアイデンティティではない。

それは自分らしさの一部と言えなくもないが、本質の点からいえば、本当に端っこのごくごく小さな一部に過ぎない。

「自分らしさ」について、真剣に考えたことがある人にならば、自分らしさを自分の価値観に紐づけて答えることだろう。

あなたが、やる研レポートやドクター・ディマティーニのバリュー・ファクターをご存知であればなおさらだ。

私たちやる研が、推奨している「バリュー・ファクター」(以下、VF)を使うことによって、私たちの価値観の優先体系を明らかに(可視化)することができる。

 

価値観とは、私たちの物事に対する認識、判断、行動の基準となるものだ。

 

つまり、価値観に合致しているものに対して良いとか好きといったポジティブな反応を示し、合致していないものに対しては、嫌い、拒否、避けるといったネガティブな反応を示す。

 

そして、価値観には優先順位がある。例えば、自分にとって大切なのは、1番目が家族、2番目がお金、3番目が仕事、4番目が健康・・・・といった感じだ。

この優先順位は、人それぞれユニークである。

優先順位が高ければ高いほど、私たちはそれをすることに情熱を傾け、一生懸命になり、積極的になりかつ知性や能力も発揮することができる。

優先順位が低い分野では、それと逆になる。

しかし、これをして「自分らしく生きる」ことを自分が価値を置いている「最高価値に生きる」ことと誤解している人が結構いるので、注意してほしい。

もし「最高価値=自分らしさ」というのであれば、それは最初に述べた「自分らしさ=スタイル」と本質的に変わらない、ことに氣づいていただきたいのだ。

どちらも自分が好きなことであり、それは既に過去から自分がそうしてきていることであり、自分の好きなこと(最高価値の分野)に執着した生き方にすぎないのである。

確かに好きなことに全力を傾ければ、その分野で優れた成果を出せるかもしれない。

しかし、「意識」という点ではどうだろう?

 

それで意識は拡張するだろうか?

 

意識に広がりはあるだろうか?

もしかすると、人生には自分がまだ知らない、出会っていない未知の分野があるかもしれないのだ。

 

ただ単純に最高価値のみに生きてしまう選択をすると、それらと出会うチャンスを逸することになりはしないだろうか。

 

そして、それはすなわち自分の可能性を発揮する機会を失うことになりはしないか?

 

現時点での既知の分野限定の中での最高価値に生命をかけた生き方は、本当に自分らしく生きたことになるのか?

自分らしさとは、スタイル(好み、限定された最高価値のみ)に執着することではない。

真の自分らしさとは、可能性に生きることである。

きっと次の言葉を聞いたことがあるはず・・・

真の自分は、無限の可能性を持っている。

真の自分は、無限の叡智を持っている。

・・・・・・・

これは観念的な教えでも、スピリチュアルな宣伝文句ではなく、真実である。

自分らしさとは、可能性なのだから。

自分の中にある能力、知性、体力、エネルギーのすべてを最大限に発揮することで現実に表現できることが「可能性」だ。

レオナルド・ダ・ビンチは、真の自分を知り、自分の可能性を表現した人だ。

彼の生き方は、本来の可能性=自分らしさを取り戻し、自分らしく生きたといえる。

 

バリュー・ファクターによって、最高価値を見つけることができるのは、ご承知の通り。

しかし、それを最高価値のみに生きるために使ってしまっては、「自分らしさ=可能性」という点からすれば、なんと偏狭なことだろう。ある意味、自分らしさから遠ざかる行為といえないだろうか。

バリューファクターによって最高価値を明らかにする意味は、そこではないのだ。

私たち、人間は自分が最高価値と認識すると、能力や知性を最大に発揮できるようにできていることを認識することが重要なのだ。

つまり、それは言い換えるならば、最高価値と認識する分野が広がれば広がるほど、自分の可能性をどんどん表現できるようになるということ!

バリュー・ファクターには、あらゆる分野のことに価値を認めることができる手法が含まれている。

それこそがバリュー・ファクターの持つ最大の価値といってよい。
「でも、フォーカスすることが大事だと言いますよね。それに反するのではないですか?」

フォーカスすることの重要性を説くのは、その前提として人間は無限の可能性を持つ存在だということを知らない人、信じていない人が言っているにすぎない。

フォーカスすることで、成果を上げることができる。これは、フォーカスしない分野は成果を上げることができないという意味と捉えるべきである。

フォーカスとは、最高価値の認識であると言い換えるとおわかりいただけると思う。

いろいろな複数のことそれぞれを最高価値だと認めると、それら認めた分野でそれぞれ成果を上げることができるのだ。

 

つまり、誰もがダ・ビンチのように多様な分野に天才性を発揮できる可能性があるということだ。

企業の場合、リソースが限られているためフォーカスという戦略は当てはまるだろう。

が、人間個人の場合、そもそもが無限の可能性を持つ存在であることを前提とするならば、最高価値と認める分野が広がれば広がるほど、本来の能力と知性を発揮することにつながるのである。

まとめると:
自分らしさを発揮し、自分らしく生きるために、まずは自分が持つ価値観を知ること、そして価値観の優先体系を知り、確かに最高価値の分野で自分がらしさを発揮していることを認識することがまず大事。

次に、これまで自分が価値を認めていなかった分野に対する認識を変える。つまりそれはそれらの分野を最高価値であるという認識に変えるということ。

たったこれだけで、あなたの中にある真の能力、知性、好奇心のエネルギーが沸き起こり、活力に溢れだす。

 

自分ができることの可能性が大いに現出するのである。

「でも、それらはどうやったらできるのですか?」

バリュー・ファクターには、そのためのテクニックがある。しかも整然と、それでいて非常にパワフルに!

ご興味あれば、こちらをクリックして確認してほしい。


セムコ社:リカルド・セムラーの奇跡の経営

2017-03-26 [記事URL]

6月に「すごい会議」さん主催で、私が翻訳した『奇跡の経営』の著者であり、セムコ社CEOのリカルド・セムラーが来日し、講演をすることになりました。

以前、こちらのやる研レポートで『奇跡の経営』のエッセンスについて紹介しましたが。

奇跡の経営を実現する方法

奇跡の経営と価値観の関係

奇跡の経営の実践法(1)

奇跡の経営の実践法(2)

とにかく、セムコ社の経営は、常識を覆すことばかり。それでいて会社は常に利益を上げ、成長し、社員の辞職率が実質ゼロ、ブラジルでNo1の人氣企業という、まさに「奇跡」という言葉そのままの経営をしている企業です。

先日、講演を主宰するすごい会議の主要メンバーの方から面会したいと申し出を受けて、食事をしながらお話をさせていただきました。

彼らから「なぜ、この本の翻訳をしようと思い立ったのか?」「奇跡の経営を通して日本社会または日本の企業経営者にどんなメッセージを伝えたかったのか?」といった本質的な質問を受けました。

私が本書を通してもっともお伝えしたかったことは、誰もが仕事に充実感を感じたいと思っているし、やりがいと生きがいを感じながら働きたいと思っているはず。その思いは、社員はもちろん、雇用主も同じ。

だからこそ、ただ素直に、そういう職場を社員皆で作ればよいのです。

そのとき、間違っても本に書いてあるセムコが導入した制度をそのまま自社に導入するということがないように!

なぜなら、セムコ社を真似る必要なんか毛頭ないのだから。

あなたの会社がセムコ社になってしまうなんていうことがないように!

あなたの企業には、独自の理念があるはず。あなたの企業には、あなたの会社にしかないユニークな商品やサービスがあり、個性的な社員によるユニークな組織がある。

だから、あなたの会社らしいやり方で、あなたらしいあり方の組織を作ればいい。

奇跡の経営からは、そういうことをしていいんだという許可をあなたの会社に対して出すきっかけとして欲しい。

その意味で奇跡の経営からインスピレーションを得て欲しい。

それが、私が『奇跡の経営』を翻訳した理由です。

もしもまだ奇跡の経営を読んでいないのであれば、ぜひ一度でいいから読んで見てください。

私は、本書を初めて書店で手にして読み始めた時「うそ!?」「えっマジ?」「本当に!?」「ワーォ!」と心の中で何度も叫びました。

そこには、あたかも理想的な企業のあり方、経営のあり方が綴られていたからです。

しかも、それを実践しているなんて!

本の原題は『The Seven Days Weekend』ですが、私はためらわず日本語タイトルを『奇跡の経営』としました。

本書を読めば、私がなぜそのタイトルにしたかお分かりになるはずです。

追伸:奇跡の経営は、テクニックや制度、システムで行うのではありません。セムコ社またはリカルド・セムラーの経営思想の本質を参考にして欲しい。

そして、そのエッセンスは、以前書いたやる研レポートを読んでいただければと思います。

奇跡の経営を実現する方法

奇跡の経営と価値観の関係

奇跡の経営の実践法(1)

奇跡の経営の実践法(2)


マズローの欲求五段階と価値観

2017-01-17 [記事URL]

アメリカの心理学者アブラハム・マズローが提唱した人間の欲求五段階説は、私たち人間の行動の動機を考える上で、スタンダードとして用いられています。

それによれば、まず私たちは、生きるために最低限必要な欲求を持っているとする生理的欲求(生存欲求ともいう)を持っていて、食べる、寝る、排泄するといった動物と変わらない欲求を持ちます。

その生理的欲求が満たされると、次に私たちはそれよりも高位の欲求を持ちます。

それは安全の欲求です。つまり、生存に最低限の欲求が満たされると、より快適さをもとめるようになる。

安全とは、風雨を防ぐ家であったり、衣服、健康や生命の安全を守るための保証であったりします。こうして文化が生まれます。

その安全の欲求のさらに上位にあたるのが、社会的欲求です。

これは周囲の人たちとの関係性で、他人と仲良くしたり、自分が必要とされたり、と社会的な役割を欲するというものです。

仕事に就いたり、恋愛をしたり、組織やグループに属したりする行動になります。

その社会的欲求が満たされると、次に尊厳欲求が生まれるとなっています。

それは仕事で認められたり、自分が価値ある人間であると認められ、尊重される、名誉や地位、名声をもとめる。

そのために私たちは学習し、よりよい成績をあげたいと努力します。

そして、マズローの欲求五段階説の最上位にあたるのが自己実現欲求です。

ここでは自分の持つ能力や才能を最大限に生かして、可能性を追求する行為をとるようになります。

と、このように人間の欲求は、リニアな段階を経てより高次のものへと高まっていくとするのがマズローの欲求五段階説です。

さて、ここで価値観について、これまで本「やる研レポート」でなんども伝えてきたように、価値観は、満たされない欠乏感、不足感の裏返してあるという一面を持っています。

その点では、マズローの言う欲求(英語ではneedsとしているため必要性)と同義です。

さて、もうお氣づきのように、マズローが扱っている欲求は、私たち人間が置かれた状況・環境により変化する特徴を持ちます。

そして、欲求は下位から上位への一方通行ではなく、状況が変われば、欲求は上から下へと移ることも示唆しています。

例えば、順調に生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求へと上位に移行していき、尊厳の欲求に至ったとしても、そこで務めている会社から解雇されると、社会的欲求の段階に移行し、新たな雇用主を探すことをします。

そして、長期にわたり仕事が見つからず、貯金も底をついて、家賃が払えないとなると、ホームレスとなり、安全の欲求が生まれます。

さらに苦しい状況が続き、食事もままならなくなると、生理的欲求を満たすことが最重要事項になることもありえるわけです。

さて、私たちやる研が、行動を促すドライビングフォースとして価値観を起点としているわけですが、その場合、状況に応じて変化する「価値観」と何があっても不動の軸となる「普遍価値観」の2つがあると捉えています。

「価値観」については、その洗い出しの方法などは、過去のやる研レポートでご紹介してきた通りです。

では「普遍価値観」は、どうやって見つけるのか?それは一体なんなのか?

私たちは「普遍価値観」は、私たちの誰もがこの読み生まれてきた目的を持っているという立場を支持していて、それは「人生の目的」であるとしています。

言い換えると、それは「天命」です。

そして、天命を見つけることも可能であると考えています。

実際、私たちが企業研修や経営幹部への個別指導をするとき、天命を明らかにするワークをするのですが、比較的短時間で容易に天命を明らかにすることができています。

天命を見つける方法は、以下の特徴を捉えて、一定の手順に従うことで可能です。

1. 幼少期の欠乏感

2.人生で何度も繰り返される

3.身体的特徴と関連する

4.充実感の感情と関連する

5.変化する価値観と強い関連性を持つ

最後に天命について、その天命を知ることの重要性について。

マズローの欲求五段階説の一番最初の段階である生理的欲求(生存欲求)は、単純に動物と変わらない低次の欲求であるかのように思われますが、それは間違いです。

ヴィクトル・フランクルの名著『霧と夜』で、ナチス統治下に収容所に入れらた過酷な経験から、生き残った人たちに共通する「運」と「生きる力」について示唆に富む提言がありました。

それは、「目の前の過酷な状況を抜け出す」ことへの思い(欲求)でも、現状に悲観し、あきらめて落胆する思いでもない。

それは「収容所から解放された後の未来への希望」でした。

自分が生き残り、世の中に何を提供するか、貢献するか、遺すか、といった自分のレガシーを思ったのです。

レガシーとは、まさに自分が生きた証であり、それはその人固有の人生の目的=天命であると言えます。

過酷な環境にありながら、いや生命の危機という状況にあったからこそ、自分の天命に目覚めることができたともいえます。

実際、人は生存を脅かされる困難な状況にあるときに、2つの欲求を持つようです。

1つは、文字どおり生存の欲求にある生き抜くための目の前の課題(食料、睡眠等)を欲する。

2つめは、自分が生存するに値するための理由。つまり、人生の目的を探そうとします。

順番として、2つめの人生の目的を明らかにした後に、「自分の使命を認識し、自分が生存することの価値を認めた上で、だからこそ生きなければ!」と思うのは、人間だけです。動物に、それはありません。

そして、その天命に目覚めることこそが、運を拓くことにつながり、そしてその後、大事を成すことにつながります。

天命・・・あなたの天命は何か?

ぜひ意識して、あなたの天命を認識しましょう!


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